アンドリュー・ラマス教授セミナー 1.15() 13301530

特定非営利活動法人ソーシャルデザインファンド・大阪市立大学大学院創造都市研究科都市共生社会研究分野 共催
CSR連携と資金調達」

大阪市立大学 文化交流センター・大セミナー室

1.参加者の自己紹介 (15名)

2.トークセッション(アメリカのNPOに対するファイナンスについて)

長年NPOにかかわってきたが、過去30年間にわたってNPOは時代の変化に対応してきた。私のNPOとのかかわりで、Care-Providing CharityJustice-Seeking Charityに比べてずっと大きい。例えば地震後にNPOによる救援の役割が大きい。大きな誤りは、地震が起きると多くの人は神の仕業とか自然災害とみなしていることだ。ニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの経験からすると、単なる自然災害ではなく人災が悲劇をもたらしているといえる。多くの悲劇は経済的な不公正の結果だ。キング牧師は最期に、社会的な正義や政治的な正義だけでは不十分で、経済的な公正さが鍵であると悟った。Care型と違ってJustice型のNPOが運営されるはずだ。それは財政においても違った形をとる。

Care-seekingのほうが資金を調達しやすい。Justice-seekingはより直接的に現在の社会体制に挑戦するからだ。こうした公正さを求める団体はオルタナティブの財源を求めていく必要がある。しかしJustice型もNPOであると認知されている。

世界でNPOという言葉は混乱を招きがちだ。NPOでも剰余を大きく出す場合があり、本来の事業に再投資すればよい。Justice型は通常のチャリティとは違って、政治的な力や社会関係を変えていく力をつけていくものだ。

ひとりの人間が複数の性質を持つことがある。具体例として、コンサルティング、財源、CDFI、経済的な公正さを求めるアドボカシーなどがある。

まずコンサルティングとファンディングについて話をする。Praxis Consulting Group2つの団体にコンサルティングを提供している。1つはNPOに、もう1つはCDFIや従業員所有企業に提供する。スタッフは女性・男性、MBAPhDを持っている人など、ファイナンス・経済など専門性を持つ人がいる。NPOが利益を挙げることをコンサルティングしている。大規模な博物館がギフトショップや喫茶店で利益を挙げ、本来の使命達成に用いるということだ。アメリカでは収益事業に対する税金の問題が出るので税務の専門家が必要になる。NPOにかかわる人も起業家が良く大学と同じ大学に行って学ぶ。あるコンサルタントの女性はコーネル大学に学んでPhDを取り、コンサルタントの経験を25年以上しているので、大手コンサルであれば大金をとれるが、オルタナティブなファンドをつくりたいという政治的な理由により、年齢も61歳で、年収15万ドル程度だ。普通の企業に比べてずっと安い。

もう1つの例として、Bread & Roses Community Fundを紹介する。主な大都市には財団があるが、フィラデルフィアにはこの財団がある。フォード財団のような財団とは大きく異なる哲学を持つ。労働者がストを打つと、労働者を支援する資金を出したり、フィラデルフィアの運動体に支援している。全国の財団の連合体は互いに協調連携している。

最後の例はNPOで貧しい人の富の形成を目的とするCDFIである。Bread & Rosesは主要なCDFI6080年代にかけて支援してきた。


アメリカで貧困や不平等に言及する際に、収入の格差のことを述べるが、企業オーナーの持っている富については語られない。野球にしてもフットボールにしてもそうだ。

CDFIとはNPOの一つで、主要な目的は低所得者の富を向上することにある。持ち家やビジネスを通じて。富が少ないということの問題を指摘している。収入の問題から富の問題にシフトすることが必要だ。日本の統計では、純資産に関するものがなく、収入のものだけだ。アメリカで富を持っているというのは、持ち家が中心となる。


収入が同額だとしても、その背後にもっと重要な問題がある。黒人はもはや奴隷ではないが、30%の黒人は純資産が0またはマイナスである。黒人やその他ヒスパニックなどの貧しい人たちがいかに富を形成するかを考えていく必要がある。

CDFIの役割としては、富と収入を区別し、富の役割を社会に知らしめることがある。NPOの人たちは財務やファイナンスのことを学んでいない。私のいる大学ではNPOや企業、ソーシャルワーカーを対象に教えている。アメリカではファイナンスは男性、ソーシャルワークやケアは女性というように、研究分野がジェンダー化していることがある。


 通常より安い金利で資金を調達する。かつては個人や宗教関係(カソリック教会の修道女など)から資金を集めていたが、CDFIの成長に伴い助成財団や大学、銀行などからの資金が増えていった。ペンシルバニア大学の場合、4000億円を投資している。その1.5%をCDFIに融資している。大学の中にはそういうのをためらうものもあるが、ミッションにそっているとして進んでCDFIに貸している大学もある。2%で借りて5%で貸すことで、必要なコストをまかなっている。子会社としてベンチャーキャピタルファンド(CDVCF)を設けて、環境事業など新たな事業に投資することもある。これをやるにはきちんとした教育が必要となる。


(質問)ベンチャーキャピタルファンドが倒産することは?

――倒産はあり得るが、実際には倒産の事例はない。


CDFIの運動前は、助成財団は助成金だけ出していたが、この運動が新たなアイディアを出した。すなわちPRI (program related investment)だ。財団がある社会問題に資金を出そうとすれば、助成金だけでなく低金利での融資もあり得る。これによって富の形成を促すことができる。


最近、Linked Campaignというのがあり、投資先の調査を行う。例えばホテルチェーンのHEIで組合がないため、利益が高く、ここに投資して支援している。教員も含めてここに投資するのは倫理的に問題があると考えている。ここへの投資を引き揚げ、CDFIに投資することにより地域の改善につながると主張している。

こうして2つの角度からの戦略がなされている(投資の引き上げとCDFIへの投資)。


CRA(地域再投資法)は、銀行のかかわりを増やすうえでどのような役割を果たしているのか。サブプライムローン問題によって右派からのバッシングもあるが、どうなっているのか?

日本の銀行もアメリカの銀行も基本的には同じだ。基本的な違いは、コミュニティ開発に対する国の政策ではないか。一方では1977年にCRAが成立し、他方で1978年ころからコミュニティ開発金融運動が始まった。CRAはアメとムチの政策で、不適切な融資には罰則を科す。銀行は貧困地域に投資しなければならないが、投資したくないので、代わりにCDFIに投資することになる。組織としては伝統的な金融機関とオルタナティブ組織は別々だが、お金の流れを見た場合は、極めて統合されており、それでCDFIは大きく成長してきた。

30年ほどのCDFIが経済的な公正を求めて運動してきた。「運動」と「業界」の見方で対立がある。


《質疑応答》

オバマ政権の下でCDFIはどうなのか:オバマ大統領は強力にCDFIを支援しているが、それだけではなく共和党も支持しており、それは銀行を通じて貧困地域を支援するからで、あまりラディカルではないからだ。ただし、金融危機の原因に対する見方は異なる。右派の人たちは、低所得者はお金を借りることはできないと考えるが、それは倫理的に良くないことだ。CDFIが低所得者に貸す場合は固定金利で長期間、カウンセリングの3つ揃っている。ウォールストリート流では6カ月後に金利がどんどん上がっていき、払えなくなれば延滞料がかかる。融資と同時に生命保険にも加入させて、銀行が損をしないようにしている。


ベンチャーキャピタルファンドを子会社に持っているCDFIはどの程度あるのかについて:大規模なCDFIはいずれもベンチャーキャピタルファンドを子会社に持っているが、独立している場合もある。ベンチャーキャピタルファンドの例としては、ベン&ジェリーアイスクリームがベンチャーキャピタルとしてホットファージを設立し、様々な労働者所有の工場などに投資した。


CDFIのリスク管理について:一般の営利銀行と異なり、スタッフの賃金は低い。資金調達コスト(投資家への配当)も低い。

また、協調融資によって、リスクヘッジしている。資産家や組合などと組んでいっしょに融資するなどしている。


住宅ローンに比べて事業融資は難しいのではないか、との問いに対して:やはりCDFIの主要な貸出先は住宅だが、事業に関してもノウハウを積んできて、特定のビジネスについては貸せるようになっている。グローバル競争にさらされてはいるが、そうした競争から逃れている業界もある。スーパーマーケットや学校、在宅医療などは必ずしもグローバル競争の波をそれほど受けない。



その意味で、ローカルビジネスにCDFIのチャンスがある。アメリカでは医療制度が悪いので在宅医療に注目が集まっている。アメリカ最大のワーカーズコープは800名の従業員が働いているが、在宅での治療が必要な患者にサービスを提供している。第2のものは有機食品やスローフード、地産地消、都市農業など様々な運動が起きている。そういうところに投資できる。第3はアメリカの公立学校の問題から生じているチャータースクールだ。政府が運営費を支出するので、安定したビジネスになる。政府の支払いが遅くなるが、必ず支払われるので、貸す側としても大きく確実なビジネスチャンスになる。フィラデルフィアにも50以上のチャータースクールがある。

以上

アンドリュー・ラマス教授シンポジウム 1.15() 18302030

大阪市立大学証券研究センター主催 瀬川基金記念シンポジウム

「米国のコミュニティファイナンスと地域金融」

大阪市立大学 文化交流センター・大ホール

地域社会をサポートするにはファイナンスが必要です。アメリカ30年間をさかのぼって考えると、この歴史はコミュニティとファイナンスが協力関係にあったり、対立関係にあるという歴史でした。

コミュニティとファイナンスで議論されてきたものをみると、オルタナティブ経済、社会的経済、経済的正義、経済民主主義、エンパワーメントなど。エンパワーメントということばはふくざつなことばです。NPONGO、社会的責任を持った企業、社会的責任投資、トリプルボトムラインへのコミットメント、コミュニティ開発金融機関です。

したがってアメリカでコミュニティとファイナンスの議論を繰り広げようとすると、それぞれについてトピックを話すこともあれば、左派、中道、右派が使う言葉、共和党系、民主党系が使う言葉、皆が使う言葉も含まれている。

これらの言葉はそれぞれの理論と実践の側面を持っている。2つの対立する理論と実践にまとめて話をします。この論争はまさにコミュニティ開発金融のコミュニティの中でも繰り広げられている論叢です。この運動は30年以上の歴史を持っています。私がここで使う「運動」という言葉に反対する人もいますが、30年間にわたる金融業界の歴史といいたいわけです。

理論1も理論2も、それぞれ否定的な面と肯定的な面があります。料理論とも、拒絶する要素も、主張している要素もあります。最初にはっきりさせますと理論1には批判的な立場をとっています。

理論1の否定的な面について、非政治的でいいことをしたいと思っている人、言い換えればフランシス・フクヤマ的な「歴史の終焉」ということを理解しようとしている人たち。福山は決して歴史の終焉というものを喜んで書いているわけではなく、メランコリー的にとらえているわけです。しかしそうはいっても、考えられ得る最善の統治のあり方、米国の民主主義というものを述べています。また最善の経済形態にまで進化してきたと、すなわち資本主義です。ここで否定されているのは、過度な欲望、強欲、搾取というものです。より人にやさしい資本主義です。どのように変えられるかというと、政策や慣習を通じてではなく、社会的起業家としてのビジョンやリーダーシップが出てくることが必要であり、新たな形で資本家の利害を守る人たちです。

理論2のほうでは、オーソドックスな理論が批判され、政策・慣習が否定されています。そこでは全ての価値の源が労働力と自然というものであり、国の富に対して国民・市民・コミュニティが主張できるという考え方です。この理論であっても革命的なものではなく、改革マニフェストという位置付けです。

理論1の実践面を考えてみますと、アメリカでトリプル・ボトムラインがあり、株主に対するコミットメントは続けられます。株主に加えて、社会・コミュニティに対するコミットメントもあり、3つ目は環境に対するコミットメント、グリーンな企業をつくりだすことです。企業には2つのタイプがあり、真剣に取り組んでいる企業と、環境にあたかも配慮しているかのように見せかけて、それをマーケティングのツールにしている企業です。今日は、理論2で実践されているものを中心にお話しします。この理論2のほうから生まれているオルタナティブ経済は多々あります。

オルタナティブという言葉よりも、相互補完とか相互依存のほうがふさわしいかもしれません。一つの例として地域通貨という運動があり、その呼びかけも地域通貨、補完通貨、代替通貨、どう呼べばいいのかという議論がありますが、共通の性質があり、人を基盤にしている、地域を基盤にしているなどです。他方で、違う点もあります。

1970年代にアラスカで油田が見つかった時、油田のトラストをつくろうという話が出ましたが、トラストはオルタナティブ経済の法的形態です。所有者はいないが受益者がいるからです。その結果、アラスカ州では各世帯が毎年8,000ドルの小切手を石油収入から受け取っています。

コミュニティ開発金融機関がどのようなプロジェクトに投資しているのかというと、土地・労働力・資本の3つのカテゴリーに分けられます。土地に関しては、(油田のような)資源トラストや、環境土地トラストなどがあります。環境土地トラストに対しては税制面での優遇措置があり、地主がトラストに土地を売ることで税控除が受けられます。まず1970年代に環境保護運動の高まりが必要でした。またEPA(環境保護庁)の発足にあるように政策変更が必要でした。国レベルでの税制を変えることも必要になったわけです。そしてまた若い世代の人に対して金融・経済・法律を学んでもらう時間も必要でした。彼らの知識をプロジェクトで発揮してもらう必要がありました。

コミュニティ・ランド・トラスト:多くのCDFIはこのトラストに融資しています。私が自宅を購入したとき、都市部と農村部の違い、貧しいところの人と都市部の人の違いがここにあります。新たな運動として出てきたのはコミュニティ・ランド・トラストでした。貧しい人に手ごろな価格の住宅を提供するのが私たちの目的だとすれば、国が公的資金で作りなさいと従来言われていた。そのような政策を実行しても、貧しい人の富が形成される政策とは言えません。なぜなら、自分たちが買って所有しているわけではなく、賃貸で借りているにすぎないからです。

それでは、貧しい人が住宅を所有するにはどうするかというと、住宅を所有する立場にあったとしても、良い環境の住宅に住めるわけでもなく、価格も上がりません。

そのため土地を社会化するわけです。まずトラストが土地を所有する形にして、そのうえに住宅を買います。住民は住宅を買いますが、土地は買いません。その隣にある見かけが同じ住宅は、住宅と土地の双方を買うものです。


ワーカーズコープもESOPも、CDFIからかなり融資しています。1970年代、ESOPという概念が生まれました。従業員がストックオプション、株式を持つという企業形態です。大きな企業でも、従業員の持ち分があるものがあり、例えば大手スーパーの「パブリックす」があり、航空会社ではサウスウェスト航空もその例です。これは国の政策を変えなければ変化が生まれないということです。若い男性が企業に入って企業を大きくしたが、子どもが企業の経営を後継ぎしない場合、少しでも所有権を従業員に譲ると税控除になります。15番目の建設会社など、11,000社のESOPがあります。このうち1,000社が経営に参画し、残り10000社では労働者が資本家でもあるというだけです。


CDFIの中でもクレジットユニオンは1世紀以上の歴史を持っています。1970年代後半〜80年代頭にかけて、新たな形のCDFIも出てきました。CDFIの考え方は大きく3つあり、まず強力なCDFIをつくること、スキルを持ってほしい。次に国の政策をどう変えるかということです。

1970年代にCRAが成立しましたが、金融のプロではない市民が運動して作った法律です。フィラデルフィア市の貧しい地域をレッドライニングで囲まれ、そこの住民は生命保険や融資への差別がおこなわれましたが、CRAはこうした融資差別を禁止しました。

CRAは、銀行が放棄した地域の中で融資することを求めた法律です。FRBは銀行が融資をしているか監視し、CRAに従っていない場合はM&Aを禁止されるなどの規制があります。しかし銀行は貧困地域のことを知らず、積極的に融資したくありませんし、採算が合わない融資をする余裕はありません。そこで銀行は、貧困地域の中で活動しているCDFIに融資します。起業家としての成功というより、むしろ政治的な戦略によりお金が流れ込んでくる枠組みをつくりだしたといえます。

CDFIに最初に資金を出してくれたのは裕福な個人、左派の個人、社会的な責任を強く感じている組織などでした。現在は1000を超えるCDFIが誕生していて、その中で特筆すべきものはコミュニティ開発ローンファンドです。個人・法人・企業などから低利で資金を集め、ローンファンドは主に住宅に焦点を当てて貸付をします。そのほか、資源トラスト、環境土地トラスト、地場の企業にも貸付をします。ここでも戦略が重要です。特定の企業にも融資しましたが、地域から撤退してしまうような事業には融資しません。太陽光発電やスーパーマーケット、在宅医療、保育、学校(チャータースクール)など、その場に重要な、根を下ろした事業を対象に貸します。

コミュニティ開発クレジットユニオンは、一般のクレジットユニオンとは違い、300ほどありますが、貧困地区の発展を担っています。

コミュニティ開発銀行は、法的には通常の銀行と変わりません。貧困地域の住民に対して提供したいが、非営利の形態をとってやりたくないと考えています。いわばリベラルな資本家の考えです。したがって、この業界は幅が広いということができます。

私は2つの最大手CDFIを創設しました。一つはノースカロライナ州のSelf-helpで、1980年から現在まで、55.7憶ドルを融資しました。しかしニューヨークに行けば、シティバンクの2つの視点がこのくらいのお金を持っていると思います。807月に募金を集めて87ドルを融資したことから始まったのを考えれば大きな金額になりましたが、アメリカ全体からすればまだまだ小さいと言えます。組織としても力強く成長しなければならないが、国の政策にも働きかけなければなりません。

Self-helpは小企業、環境土地トラスト、育児などを支援し、250人働いています。またワシントンDCCenter for Responsible Lending Researchという事務所を持ち、60名の専門家がアドボカシー活動や研究をしています。一方ではSelf-helpがゴールド万サックスなどから資金を集めてサービスを提供し、他方ではゴールドマンサックスなどの行動を改めてもらうよう働きかけます。TRFについては話をしませんが似たような構造です。

また、全国組織OFNがフィラデルフィアにあり、6年前に業界の戦略計画について共著で本を書きました。2004年における2つの大きな勧告としては、第一にいくつかのCDFIに合併して強力なCDFIになってほしいということです。優れた金融商品を生み出し、融資した事例があれば、それをネットワークで全国に広げてほしい。

現在、次の15年間をターゲットとして新たな戦略を書いている段階です。30年前に始まった動きとして、既存の金融機関から職員がCDFIに移ってきました。いまでは、私たちはいい関係を銀行と結ぶことができるようになっています。私のような古くから携わってきた人間としては、経済的な正義を求める運動と捉えていますが、それではCDFIが大きな金融機関の中に統合されていくべきかどうかという問いに直面しています。大きな金融機関に統合されればより効率化され、コミュニティにより多くの資金を提供できるでしょう。インパクトもより多くもたらします。しかし、そういう大きな流れに取り込まれるのではなく、選択的に進もうという人もいます。


最後にオバマ大統領の話をします。

財務省は1994年にCDFIファンドという組織を立ち上げました。オバマ大統領はクリントン大統領と同じく熱心にCDFIを支援して、予算を2倍に増やしてくれました。


大半のCDFIは非営利ですが、ベンチャーキャピタルファンドの場合は複雑で、ハイブリッドモデルが生まれつつあります。大阪博物館を例にとると、ギフトショップは営利活動の要素が強いですが、フィラデルフィアにも世界有数の博物館があり、カフェやギフトショップは営利事業です。多くのNPOが営利子会社を持っています。

貸倒率は極めて低いです。その裏側には、リターンも低いということがあります。アフォーダブル住宅で融資する場合、30年間の固定金利で住宅を担保にして貸します。それに対して略奪的な高利貸しは6カ月の固定金利、その後は6カ月ごとに金利が上がり、手数料や延滞料がかさみ、それがデフォルトになります。デフォルトから儲けているようなモデルでもあります。


ガバナンスは、他のNPOと同じく理事会があり、その構成は時間とともに変化してきました。構成メンバーは昔であれば、ロースクールやビジネススクール出身の学者が付いていたが、今では出資者の代表者が理事になっています。ガバナンスのあり方としては11票です。住民代表も、組合の代表も、金融機関の代表も、学者もみな1票ずつ持っていますが、実際には投票ではなくコンセンサスを図っています。また、具体的には委員会を開いて決めますが、なかでも融資の委員会が中心的です。


融資以外の機能としては、住宅所有者や企業経営者に対して技術的な助言や力量形成などを行っています。その組織の論理を考えて行わなければなりません。もしサービスに対して支払いがなされないと、資本に対するコストが高まるということです。金融が成功するためには他の機関を含めて慎重に進めなければなりません。投資資金を出してもらうところには助成金も供与してもらうよう依頼します。我々が支払わなければならない利息と、借り手に請求する利息のスプレッド(利ザヤ)を広げることもありますが、これは借り手への負担を増やすので、あまりやりたくありません。

担保については通常、一般的な方法に従いますが、唯一の例外はマイクロファイナンスをやっているCDFIについてはグループ融資を採用しています。


認知について:アメリカ人の大半はCDFIという言葉など聞いたこともないでしょうが、私たちに資金を供給している人たちはよく分かっていると思います。


コミュニティとCDFIとの関係について:初期の段階では、コミュニティとの関係は緊密な物がありましたが、銀行から融資してもらうようになってからは、レッドゾーンから出て行ってしまうCDFIが相次いでいます。これに対して反発もありましたが、CDFIが大きくなるにはやむを得ないという見方が広がっています。


クレジットユニオンの動向について:彼らは組合員のいうことを聞いていました。組合ンの大部分は白人層です。戦後、戦争から復員してきた白人層のために政府は郊外に住宅をつくってやりましたが、それらは黒人やマイノリティには適用されませんでした。クレジットユニオンも白人層にくっついて郊外に移って行きました。


以上